2. 天災・テロの 離散イスラエル民族に及ぼす影響
2008年の天災やテロによる治安悪化は、四川大地震、ミャンマーのサイクロン、アフガニスタンのテロによる治安悪化、カシミール問題によるインドテロなど、イスラエル人の集積地とみられる所に集中して起こっている。
神様は、天災・人災をもって離散イスラエル人たちがイスラエル国に帰還せざるを得ないように導いておられると考えられる。これは、エレミヤ書、エゼキエル書、ゼカリヤ書などの、イスラエル民族が再びユダヤの地に集められるという預言が成就するためであり、その時期が来たためであると考えられる。
「わたしは捕われ人には『出よ。』と言い、やみの中にいる者には『姿を現わせ。』と言う。 ・・・・・ 見よ。ある者は遠くから来る。また、ある者は北から西から、また、ある者はシニムの地から来る。」 (イザヤ49:9−12) ( ・・・ 「シニム」=中国、(日本))
「見よ。わたしは多くの漁夫をやって、・・主の御告げ。・・彼らをすなどらせる。その後、わたしは多くの狩人をやって、すべての山、すべての丘、岩の割れ目から彼らをかり出させる。」(エレミヤ16:16)
「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。 」(エレミヤ31:8)
「主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨はイスラエルの全家である。ああ、彼らは、『私たちの骨は干からび、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる。』と言っている。 ・・・」(エゼキエル37:11−)
「彼らは主のあとについて来る。主は獅子のようにほえる。まことに、主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。彼らは鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリヤの地から、震えながらやって来る。わたしは、彼らを自分たちの家に住ませよう。・・主の御告げ。・・ 」(ホセア11:10、11)
(1) 中国四川省の大地震:
08年5月12日、中国四川省で、M8.0の大地震(直下型(プレート内)地震 としては世界最大級、阪神・淡路大地震の20倍のエネルギー)が起こり、山間部にもかかわらず9万人近くの死者(6万9千)、行方不明者(1万8千)を出した。家を失った被災者は1000万人を超えた。
震源地は、四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州で、四川省第二のチベット族の居住地であり、チャン族の主要な集住区である。(チベット族;52.3%、チャン族;17.7%、その他・回族、漢族)
この地震によって道路や電力・水道・通信などのライフラインが寸断され、現地時間21日正午現在までで、四川大地震の死者は6万9197人、負傷者は37万4176人に上り、1万8222人がなおも行方不明であり、家屋の倒壊は21万6千棟、損壊家屋は415万棟に上った。中国政府は巨費を投じて復興に取り組んでいるが、被害が大きい上、中国国内の対応の遅れから、08年12月現在も瓦礫が放置され、多くの被災者が避難所暮らしを強いられている。
また、08年6、7月には、(あまり報道されていないが)中国東部では大雨・洪水で大きな被害があった。
チャン族(チアン族、羌(キョウ)族、羌岷(チャンミン)族)は、イスラエル十部族調査機関 アミシャブ(Amishav)が、ミャンマー北部の山間部やインドのマニプル州・ミゾラム州に住むシルシン族、カレン族と同様に、10部族の一つであるマナセ族の末裔と認めた民族で、中国での奴隷同様の扱いを嫌って、これらの山間地に移住した歴史がある。彼らは、政治的な条件が整えばイスラエルで受け入れられる人々である。
(→ アミシャブによる10部族の調査結果との比較 (3) )
(2) ミャンマーのサイクロン:
08年5月2、3日、大型の猛烈サイクロン(”ナルギス”と命名、4月28日発生、中心気圧;962ヘクトパスカルに発達)がイラワジ河口付近に上陸し、ラングーンから90Kmのイラワジ河口デルタ地帯に位置するボガレイ地区(人口19万人)は、約30Kmにわたり95%の家屋が全壊・流失、ボガレイだけで10,000人以上が犠牲となり、電話、電気、水道、インターネットなどのインフラが断絶され、アンダマン海に点在する島々(インド領・アンダマン諸島)も甚大な被害をこうむった。その後、ラングーン(ヤンゴン)を直撃し、北東部のタイ国境に抜けた。
このサイクロンの被害で、死者・行方不明者が計13万8000人以上に達した。1926年5月19日のサイクロンで死者2700人、1968年5月10日のサイクロンで死者1070人であるので、今回のこれほどの被害はミャンマー史上はじめてである。
ミャンマーは現在軍事政権であり、被災直後に外国による人的支援を拒んだことは国際社会の非難を浴びた。
ビルマ(ミャンマー連邦・Union of Myanmar)・人口:5,322万人・首都:ネービードー・宗教:仏教(90%)、キリスト教、回教・政体:軍事独裁(暫定政府)・国会:1988年9月クーデターにより解散(1990年5月に総選挙実施するも国会は召集されていない) 1990年には総選挙が実施され、アウン・サン・スーチー女史が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、政府は民生移管のための堅固な憲法が必要であるとして政権移譲を行わなかった。(総選挙以降、現在に至るまで政府側がスーチー女史に自宅軟禁措置)
軍事政権を嫌ったミャンマー人の難民が日本に多く来ている。(クリスチャンもいるが仏教徒が多い。国内では国別でミャンマーが難民の人数最大)
アミシャブが認定する、マナセ族の末裔であるカレン族は、1810年アドニラム・ジャドソン師のビルマ宣教により、住民すべてがバプテスト派のキリスト教に改宗し、改宗者は20世紀のビルマのエリート層を形成した歴史がある。カレン族(600万〜800万人)は主としてミャンマー東部のカレン州に住んでいる。
尚、アンダマン諸島には、遺伝子のY染色体DNAが日本の縄文人のルーツであるD祖型(D*)が集中して存在する。
(3) インド・ムンバイの同時テロ:
2005年10月8日にパキスタン北部で発生した大地震では、4万人近くの死者が発生した。またこの地震により被災し避難生活を余儀なくされている人々は250万人もいて、被害の多くはイスラマバード以北の同国北部地域、及びカシミール地域に集中している。
08年11月26、27日、インド西部のムンバイ(旧ボンベイ)で、パキスタンのイスラム原理主義過激派により、鉄道駅や高級ホテルなど約十カ所で銃の乱射や爆発を伴う同時多発テロが発生した。タージ・マハル・ホテルやトライデント・ホテルが襲われ、武装グループがこれらのホテルに立てこもり、両ホテルで外国人を含む多数が人質に取られ、外国人6人を含む少なくとも101人が死亡し、287人が負傷した。ターミナル駅のチャトラパティ・シバジ駅、病院、映画館なども自動小銃や爆弾で襲撃され死者が出た。このテロによる犠牲者は(日本人1名を含め)163人になった。このインド史上最悪とされるテロは冷酷かつ組織的で、入念な準備を経た上で実行された。インド側は、パキスタンに拠点を置くイスラム過激派ラシュカレトイバが主導したと主張し、国際テロ組織アルカイダ(実在するか?)と手を結んで犯行に及んだのではないかとの見方も出ている。
インドのムンバイ(人口2000万人弱)はインド最大の消費市場と位置付けられ、今後は流通、食品をはじめ生活関連産業の進出が増えると予想されているが、治安の問題から他の都市にそれが移動してしまう可能性がある。
また、今回のテロではシナゴーグも襲われ、ユダヤ人が人質にされ殺された。インドが歴史的な通過点だったことから、インド中にユダヤ教のシナゴーグがあった。現在、人口10億人を超えるインドでは、ユダヤ人はわずか4500人の少数派である。にもかかわらず襲撃場所に選ばれたことは、関係者に波紋を呼んでいる。1948年のイスラエル建国の際、それまで3万人を越えていたユダヤ人の大部分はイスラエルに帰還した。今回襲われた、住宅地にある6階建てのユダヤ教施設”ナリマン・ハウス”では、ユダヤ教のラビ夫婦ら5人が殺された。
このテロの結果、パキスタン系のイスラム過激派が関与した疑いが強まったことで、印パ関係が再び緊張局面に入り、パキスタン軍はアフガニスタン国境からインド国境に移動させた。しかし、12月7日パキスタン軍は、同国が実効支配する北部のアザド・カシミールの拠点都市ムザファラバード近郊で、インド・ムンバイの同時テロに関与したとされるイスラム過激派ラシュカレトイバのアジトを急襲、爆破したが、インドによる軍事行動の懸念も出ていたので、アジトの破壊は圧力をかわす狙いがあるとみられる。
カシミール地方は、イギリス統治時代にインド支配地域(ジャム・カシミール州)とパキスタン支配地域(アザド・カシミール)に線引き・分断され、この領有権争いが長年の印パ抗争の原因となってきた。
アミシャブが失われたイスラエル十部族と認めるカシミール族(人口;500〜700万人)は、古くはアッシリア捕囚の時代(BC721)の北イスラエル人集積地の一つであるアフガニスタンからこの地に移住してきた人々の末裔で、現在も人名、宗派名などはイスラエルのものがそのまま用いられ、外見上ユダヤ人と酷似し、言語、習慣も共通点が多く、インド北部とインド-アフガニスタン国境に住んでいる。カシミール族は、10部族のいくつかが混じっている。
(4) アフガニスタンのテロ再燃:
2001年の米同時テロ(=アメリカ自身の工作!、国会で
9・11事件の陰謀論が議論された(08 1/10))を受けたアフガン戦争は、戦争後も治安が安定せず、2006年頃からパキスタンに拠点を置く武装勢力が勢いを取り戻している。
現在、外国軍7万人が駐留し、国軍7万5千人、警察8万2千人であり、一方、旧支配勢力のタリバンは1万人前後に過ぎない。しかし、タリバンの主な構成民族であるパシュトゥン人が、英国が1893年に国境線を引いたインドとアフガン王国の両方にまたがり、これが現在のパキスタン、アフガンの両方にいるため民族的つながりが強く、そのため、06年まで米国を中心とした多国籍軍が残党を掃討しようとしても、タリバンやアル・カーイダはパキスタン領内に逃げ込み、パキスタンのアフガン国境沿いに拠点を築き、2年前から自爆テロなどのゲリラ活動を活発化させ、首都カブールでも自爆テロが起こっている。
アフガニスタンの過去30年は戦争・内戦の連続だった。冷戦時代の1979年、ソ連はアフガンの社会主義てこ入れのため軍事侵攻、これに対し米国がパキスタンを通じて複数のゲリラ組織を軍事支援した。88年ソ連撤退、冷戦終結・ソ連崩壊によって、アフガンの社会主義政権は92年に崩壊し、かわりにできたゲリラ主要8派のつくる連合内閣も崩れ、内戦に突入した。その中で、94年に誕生したタリバンは、2年後に首都カブールを制圧、国際テロ組織アル・カーイダの指導者ウサマ・ビンラーディンを客人として迎え、98年には全土を掌握した。
このタリバン政権を2001年11月に、米英軍が打倒した。04年に新憲法制定、大統領選、05年には下院選を実施、しかし、多くの国民が、復興の遅れ、汚職の横行、内戦時代に出回った武器を用いた犯罪などに不満を募らせ、タリバン時代を懐古する者や報酬目当てなどで、タリバンに協力する者が多く、タリバンの活動範囲が広がっている。07年には人道支援関係者90人が拉致され、7人が死亡した。(日本人の伊藤さん含む)
また、アフガニスタンは世界中に出回るアヘンの90%を生産している。ケシは旱魃に強く、同量の小麦の40倍の値段で取引され、内戦時代には各軍閥が奨励し、そして現在もタリバンの活動が活発な南部7州で国内アヘンの98%が生産されている。麻薬密売組織に関係する政府、元軍閥の有力者の存在が、国連などによる代替作物の生産奨励を妨げている。
パシュトゥン人(パタン族)の人口は約1500万人で、大部分はアフガニスタン(800万人)とパキスタン(1000万人、国境付近の200万人は遊牧民)に住んでいる。アフガン国民の99%がイスラム教徒(スンニ派80%、シーア派19%)で、人口構成は、パシュトゥン人44%、タジク人25%、ハザラ人10%、ウズベク人8%など。
実は、このパシュトゥン人こそ、最も多くのイスラエル十部族の末裔で構成されているのである。彼らはユダヤ人と外見も似ており、イスラム教ではあるが、イスラエル人の末裔であることを誇りに思っている。彼らの部族名には、イスラエル10部族の名前がそのまま残っている。
アミシャブは、このパシュトゥン人を最重要視している。BC721年に新アッシリアによって捕囚とされた北イスラエル十部族の民は、一部はトルコ東部のクルディスタン(ペルシャ北部のメディヤの諸都市)に、一部は現在のアフガニスタン北部のアム・ダリア川沿いのハラトやハボル(ペシャワ−ル)などにいたとされる。(「ゴザン川、ハボル、ヘラ、ハラ」(U列17、18、T歴5)) また、その後は、一部はその地にとどまり、残りはシルクロードを通って東アジアの地に分散していったと考えられる。(「シニムの地」(イザ49:12、43:5)、シニム = シナ、秦、中国)
( → アミシャブによる10部族の調査結果との比較 (4) )
(5) クルディスタンのユダヤ人:
クルド人は、トルコとイラク、イラン、シリアの国境地帯(クルディスタン)に住む中東の先住民族(メディヤ人;インド・ヨーロッパ語族)で、人口は約3000万人といわれるが、現在も依然として国を持っていない。イラクのサダム・フセイン時代には多くのクルド人が虐殺されてきた。現在、イラク国内のクルド人自治区は、米国を支持して独立を勝ち取ろうとしている。ところが、武装組織・クルド労道者党(PKK)はトルコ国内でテロ攻撃を繰り返しているので、トルコ政府は(クルド自治区を破壊しない約束で、)越境して彼らを掃討しようとしている。
イラク北部の都市、キルクークの大油田(埋蔵量100億バレル)からは、トルコ経由のパイプラインで地中海から輸出されている。クルド人グループの一部は、この大油田の権益を手に入れるため、クルド人自治区に併合するための住民投票が予定されているが、油田がクルド人のものになれば、スンニ派アラブ人はクルド人地域を標的にしたテロを活発化させると予想される。
イスラエルは、クルド人(非ユダヤ人)に対して軍事訓練や軍需物資援助を提供しているようである。(石油のためか)
イラクの治安回復の目途が立たず、マリキ政権(現在の支持層はシーア派の一部とクルド系勢力のみ、スンニ派は反対)は弱体化している。 隣国イランは、今後も、シーア派武装組織に資金、武器、訓練の供与を続けると予想される。
このクルディスタンにおけるアッシリア捕囚、続くメディヤの支配の後、ガド族、ルベン族、マナセの半部族がクリミア半島に移住し、シルクロード沿いに弓月などの町に集積し、中国、日本に至ったとされる。南ユダ王国の構成部族だったベニヤミン族の末裔はそこに残り、(一部はすでにイスラエルに帰還したが、)今もクルディスタンに住んでいる。
(6) 日本は?:
旧ソ連圏のユダヤ人の帰還は一段落しているが、かわりに北米からのイスラエルへの移住が増加している。
天災やテロ、経済破綻、戦争・紛争によって、半ば強制的に、ユダヤ人のみならず、本当にイスラエル人の末裔を選んで、主は、聖書のみことばにある預言のとおりに、彼らを帰還させようとしておられる。
では、いろいろとうわさされている日本についてはどうだろうか?世界の帝王、石油王なるデイビッド・ロックフェラーの昭和天皇に対しての慇懃な態度は、何を物語っているのだろうか?
多くの証拠により、日本人のうちのある人々(特に、皇室関係者、秦氏の末裔、神道関係者の一部など)は、ユダ、あるいは、イスラエルの末裔であることは非常に確かなようである。天皇家がイスラエル国に帰還するようなことがあるだろうか?もし、天皇陛下ご自身が自らユダヤ人の王であることを認識するならば、そのことは可能であろう。(・・・ この時、東京大地震がきっかけになるかもしれない。)
特に引っかかるのは、次のみことばであり、キリスト・イエス様に関することとの”2重預言”であると考えられる。
(* ヘブライ大教授・ベン・アミ・シロニー氏、および、小石 豊師はこのイザヤ41章の預言を日本の天皇のことだとして強調している。)
「島々よ。わたしの前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ。近寄って、今、語れ。われわれは、こぞって、さばきの座に近づこう。だれが、ひとりの者を東から起こし、彼の行く先々で勝利を収めさせるのか。彼の前に国々を渡し、王たちを踏みにじらせ、その剣で彼らをちりのようにし、その弓でわらのように吹き払う。彼は彼らを追い、まだ歩いて行ったことのない道を安全に通って行く。だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。島々は見て恐れた。地の果ては震えながら近づいて来た。彼らは互いに助け合い、その兄弟に「強くあれ。」と言う。」(イザヤ41:1−6)
「ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。 」(ホセア1:11)
「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」(創世記49:10)
これらは、旧約時代の預言者たちが預言している、キリスト(メシヤ)についての預言として一部、新約聖書にも引用されている(マタ12:18−21)箇所であるが、本来の原義的意味は、東の島々の国で活躍する一人の王のことを預言していると考えられる。そして、旧約時代から王家として続いている(神武からだとすると2600年)、ユダヤ的な文化を保持している、東の島々の国にいる「王」は、日本の天皇を除いて他にはいない。
伊勢の内宮は偶像崇拝に浸っていた紀元前のイスラエル人が作り、外宮は5世紀の終わり頃に21代雄略天皇の時、秦氏(*3)が持ってきたユダヤ文化と共に建てられた。ユダヤ人クリスチャンの秦氏一族を天皇が受け入れたのは、同じユダヤ人だったからであろう。そして、神武天皇が”サマリヤの王”、すなわち、北のイスラエル王国の王家の末裔と自称し(*1)、途中から(おそらく海のシルクロード経由でエドム人と共に渡来した、出雲(イズモ←エドム)近辺出身の15代応神天皇から)南ユダのユダ族の王家の末裔が天皇家を引き継いでいったと思われる。(旧新約当時のヘロデ王族はエドム(=イドマヤ)出身であり、ユダの王家の出ではなく、本当の王の出現を恐れていた。(それゆえヘロデ大王はベツレヘムの幼子たちを殺した:マタイ2:16)
したがって、「王権はユダを離れず・・・」(創世記49:10)とあるように、現在の天皇は、このユダの(血統の)王家の末裔である可能性が高い。(*2)
(→ 海のシルクロード・天皇のユダ性 )
「それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。
」(エゼキエル37:12)
・・・・・ 「墓」とは、今まで一度も内部調査されたことがない”天皇陵”についても言っていると思われる。
「見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。」(エゼキエル37:19)
そして時が来て、この天皇がユダヤ性に目覚め、他の世界に散っているイスラエルの残りの部族を率いてイスラエル国に帰還し、すでに集められているユダと合体するというのである!
その後の、天皇が抜けた後の日本は、エゼキエル書の「ツロ」(エゼ26章−28章)になるかもしれない。
* *1 神武天皇(BC660?)はサマリヤの王と自称。(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト → カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト = サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者) 民謡のはやしことばなどと共に、意味不明の言葉だったので、変遷を受けずに残っているものと思われる。
また、日本神話の姻戚関係がヤコブの家系と酷似している。(ヤコブ・・・ニニギ、ラケル・・コノハナサクヤヒメ、レア・・イワナガヒメ、ヨセフ・・山幸彦、アセナテ・・トヨタマヒメ、エフライム・・ウガヤフキアエズ、ベリア・・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)、ヨシュア・・歴代の天皇へ)
*2
・ ユニコーンはヨセフ族の紋章。70人訳で、申33−17の「野牛」が”一角獣”と誤訳された。(西欧ではさらに馬に角) 日本神道の狛犬は、正式には、右に獅子(ユダ族)、左に狛犬(角が有る・ヨセフ族)。
・ 太陽神崇拝(アマテラス)は、南のユダではヨシヤ王によって廃止されたが、北のイスラエルではアッシリア捕囚まで本来のヤーウェ崇拝と並行していた。
・ ヤタの鏡の裏の文字:円の中の文字はヘブライ語で、”有りて有る者”というよりも”ヤハウェの光”の意
・ ただし、DNA鑑定では南のユダに全面的に移動したレビ族(U歴11−13)の末裔しかわからない。レビ族の血を引く民は、外見上全く異なるアフリカ南部のレンバ族に見出されている。
・ キルギス語と日本語(訓読み)の類似性、キルギスの伝承
*3 日本神道(特に、八幡(ヤハタ=ヤーウェ)、イナリ(INRI(インリ)=イエス・キリスト))は、本来、大陸からの渡来人である秦氏一族によってもたらされた東方キリスト教。景教(ネストリウス派の事、西方のローマ・カトリックによって、景教はキリストの人性を否定する異端とされたきた)ではない。
景教は、東方キリスト教とは別ルートで伝わったもの(教理はほとんど同じ)で、使徒トマス、ナタナエルに始まり、西アジア一体に広まり、635年には中国皇帝に公式訪問して布教許可をもらっている。”大秦(たいしん)景教流行中国碑”(西安、781)。
秦氏は、アマテラスではなく、”アメノ
ミナカ
ヌシ”(天の中心に座す主なる神)を祭った。
日本最古のイナリ神社の糸賀稲荷(535、和歌山県有田市)のある地方は、”王子信仰”(神が尊い御子の姿で顕現する)が盛んな所である。太秦(うずまさ)神社、大酒(ダビデ)神社も秦氏が作った。伊勢の20年ごとの式年遷宮は、幕屋の移動を思わせる。
契約の箱にそっくりの神輿(みこし)が担がれる事は、749年宇佐八幡宮で始まった。
(参考文献) ・ 失われたイスラエル10支族、ラビ・アビハイル、学研、2005
9
・ 「日本の中のユダヤ文化」、久保有政、学研、2003 8、レムナント・ミニストリー